67歳 初めての一人暮らし けなげに暮らそ

永遠の67歳 素材を使い回してごはんを作っていきます。時々おやつも作ります。

母は私のことを忘れても、私の夫のことは忘れない

ビニールカーテン越しの対面で、フェイスフードをつけられていて、
娘である私の顔がおぼろげにしか見えないみたいで、
声は聞こえるようだけど、内容はわからずで。


声を上げて泣き出した。
「私が言ってることを誰か通訳してあげて。左の耳に近付けて大きな声で言えば聞こえるから」と頼んでも、職員の若い女性の声が小さくて、通じずで、
通りかかった、ベテラン看護師さんをつかまえて、
私が言う言葉を伝えてあげてとお願いした。


泣いたら、次に来るのがためらわれるから、泣いたらだめなんだよと言ったら、
うん、うん、て、涙を必死にこらえるから。
かなしくて、あわれで、こっちまでないてしまった。


で、ビニールカーテンの前にぶら下がっていた、吊るした干し柿の飾りものを見上げて、
また泣きだして、これ、これ見ると、娘の旦那さんを思い出す
っていって、また大泣きするもんだから。


看護師さんに
「娘の旦那さんが、毎年柿吊るして干し柿作ってたのよ」って、泣きながら。


そうなんよ
軒下はうちにはなくて、母の家にだけあるので、
毎年、母の家の軒下借りて、干し柿吊るしてた、夫が。


その干し柿が食べたいんだって、訴えるから、
(ちょくちょく持ってってあげてたのにな。手作りはダメって禁止されたけど。)


次来る時に持ってきてあげるから、
今年は私が作ったんだからって言って。


忘れちゃいけないよね
娘のことは忘れても。


生きてる内に、
ありがとうって、
世話になったって
言って欲しかった。
あやまってほしかった。
土下座してほしかった。


この母のために
数千万円の大借金抱えてしまって、
必死に働いて、働いて、返しあげた人だった。


私と一緒にならなければ
かかわっていなければ
もっともっと幸せになれたはずの人だった。