67歳 初めての一人暮らし けなげに暮らそ

永遠の67歳 素材を使い回してごはんを作っていきます。時々おやつも作ります。

母さん、お金くれるんなら、生きてるうちにしてよ

義母は、自分がなくなった後の子供たちのために、お金を用意していてくれてたようで。


夫が実家に行くと、兄嫁さんが、義母の介護ベットの側に夫の寝床を用意してくれるものだから、泊まるたんびに、義母「タンスの中にお金入れてるから、死んだらもらって」と言ってたそう。


でも、実際に亡くなったあと、
夫「いざとなったら言えないよな、お袋が遺してくれたお金が、あのタンスに入ってるからなんて、とても言えない」


「母さん、お金くれるんなら、生きてるうちがよかったよ」と呟いてた。


それが
だいぶ後になって、ようやっとタンスの封筒発見してもらえたみたいで、義兄が現金書留で送ってくれた。

金額は、うちのお香典代にも足りなかったけどね...
横手っていうか、秋田っていうかは、冠婚葬祭にお金かけすぎなのよね。


古びた封筒に、母親の愛情を感じる。
6年前の某月13日、義母96歳の大往生


夫は、自分より先に逝ってくれたことに、心底ホッとしてた。


で、月命日である13日に、夫を迎えに来たのよねー
偶然の一致とは思えない。


そんな話をしいの、
今日のお弁当


ホッケフライのあんかけ、りんご、昆布佃煮、さつま芋長芋ガリバタ醤油焼き、茄子みそ田楽、ピーナッツ南瓜の浅漬け、桜餅風お漬物


一昨日の孫の演奏会に着て行った洋服
数年前、しまむらで3000円だったのよこれ。コサージュ付き。
ちょっと大きめサイズだったのが、縮んだみたいで(´∀`)ぴったりになりました。


義母は、身体が不自由になってからは、私と娘たちが行くのを嫌がった。
嫁さんに迷惑かけるから、来るなら息子だけにしろと。
で、もしも来るときは、ご飯は外で食べて、泊まらずに帰れと。


なので、夫だけ帰省してた。
でも夫は、電話をかけるのも行くのも嫌がった。
「母さん、泣くから会いたくない」って。


だから、会いたい人に会えた時は、泣かないでおこうと、決心した私なのでした。