67歳 初めての一人暮らし けなげに暮らそ

永遠の67歳 素材を使い回してごはんを作っていきます。時々おやつも作ります。

わがまま放題、年寄りだらけの新年会

こんな老人にだけはなるまいぞと、心に誓ったけど、
年を取るってそうゆうことなのかもね。
私も知らず知らずに、だんだんと、わがままになってるのかもしれない。


気を付けよう、年寄りになることと、大津波。


千円会費での新年会で
(お金もらうつもりはなかったのだけど、ただでは大きな顔して食べられないと皆がいうのでね、千円って事になった。お金貰うのなら、それ以上のことはしないといけないでしょ。そう決めて準備はじめて、1週間後、やっぱり千円は高すぎ、500円にしようと会長が。
半値にするってどうゆうことだ。ならやらない!とけつまくりたかったけど、ぐっとこらえた。それでも、1000円は譲らなかった、偉いぞ自分。)


それでもね
2万2千円のおせちと
私のおせち5段重、豆餅、芋餅、その他を
1000円で食べられるのは、貴重だと思うんだけどなー


高すぎる論争が勃発しそうになった時、周囲の会員が口をそろえて
いいいい、1000円でいいからと、口添えしてくれたから、論争にはならなかった。


昨日、持ち帰り用容器を持参してきた人がいてね
つぎつぎと詰めていく。
私は電熱器での餅焼きと、レンジで温めに忙しくて、なかなか食べられず。
自分のおせちはいいけど、市販のおせちは味見したかった。


私が作った錦玉子、丸いのも四角いのも同じ味だよって言っても、聞きやしない。
どっちも取る。詰める。


ロブスターは絶対食べたかったので、端っこ切って(ナイフと小さいまな板持参した)
食べた。グラタンぽいのかなと想像してたけど、バジルソース焼きだった。


鮭の大きい何かを味見したかったけど、
1人が、ごっそり自分の皿にのせてたので、食べられなかった。
この人、紙皿2つに山盛りにして持ち帰った。


その他の人達は、分けっこして食べようねって、和気あいあいと楽しんでたのに、
数名が、持ち帰るのに必死だった。


豆餅いも餅を焼いて並べて、これは全員にあたるから分けなくていいよって声かけた。
すると、餅に手を伸ばした人に、そんな良いのからとらないで、焦げたのから取ってよーと文句つけ婆さん登場。
「人数分以上あるんだから、美味しそうなのから食べて!」と私


結局、残った餅は、文句つけ婆さんが、ほくほく持ち帰った。
それが目的かー。


招待した人が、持って来てくれたリーフチョコ。


1人に3個ずつ当たったので
1つを開いてつまんだら
隣の容器持参婆さんが
それなに?って。
(自分も持ってるでしょ、ほら目の前に。)


チョコだよ、食べる?ってきくと
うんうんとつまんで、皆に回していいか?と
答える前に、自分のもののように回してた。


皆持ってるんだよ、自分のを食べなよーー


結局、ピンク1粒しか食べられなかったリーフチョコ
おいしいのよこれがね



おっとお昼すぎた


昨日の地震そのものは、それほど強くはなかったものの、
なにせ海辺の町なもので、携帯、テレビはもちろん、
町内防災無線まで逃げろ逃げろ大津波が来るぞ!と連呼する。


そうは言っても日本海、それほど大きな津波は来ないだろうと楽観視してたけど、
弟が早く用意して‼車で一緒に逃げよう!というので、
乗せてもらって非難した。


いつもの避難訓練で行く避難所に続く道には、長い車列ができていて、
これは無理!だとばかり、隣町まで逃げた。
警報が解除になるまでは、家に戻るなと盛んに放送してたけど、
第一波が40センチだと知って、
なら、いいか。


ってことで、無事に無傷で帰還できた。
弟が無類の人の好さを発揮して、隣の婆さんも乗せてあげよう、兄貴も連れて行こう(両者一人暮らし)
とか言い出し、言うのは弟、声掛けて連れてくるのは私、ってなわけで、すっげ疲れた。
夕飯も食べなかった。
お風呂もやめた。
そんな一月一日。


今日のお弁当
銀杏ご飯いがいは、ほぼほぼおせちの新春弁当


我が家の重箱
100歳以上になってると思われる。


積み上げると五重塔のようになり、空を重ねると、1箱になる。



長々と失礼しました。